ひまじんの日記

定期更新を目指す不定期更新です

何のために生まれて 何をして生きるのか

わからないまま終わる、そんなのは嫌ですよね。

 

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最近辛いです。

理由は、自分が進む道(主にキャリア)に自信が持てないからです。

 

もちろん、進むべき道がどこかなんて、考えても答えは出ません。ある人は、「恐怖とは未知そのもの」と言いました。考えても仕方がないような未知なるものは、考えれば考えるほどに苦しめられます。

そして時に、この思考は自己否定に至ります。人間は合理化する生き物、過去を否定するくらいなら信念さえ変えてしまいます。それだけ、自己否定とは苦痛を伴います。現にいま、僕は辛いです。考えることが辛いので、わりと思考を放棄したいです。

それでも僕は考えようとします。なぜなら、後悔したくないからです。この世界には、無数の選択肢があります。こんな未来もあったのか、こういう生き方もあったのか、その選択肢が目に入るたびに合理化し、目を逸らす。そんな危うい人生を送るのは嫌です。いずれ、限界が来る気がします。

以下は僕の仮説です。「老害」と呼ばれる人たちについてです。社会には、自己保身する老害、若者の芽を潰す老害など、色んな老害がいるようです(でも彼らは権力を持つため、いなくなったりしません)。思うに、彼らは人生の別の選択肢を見たくないし、受け入れたくないのでしょう。しかも、彼らはもう年老いて、自分の選択を変えられない(まあ、もともと変える気もなさそうですが)。したがって、別の選択肢を否定するしかない。そういう関係にあるのだと思われます。

考えるべきはいま、選択できるいましかない。そう思って、辛い中、必死に考え始めました。時には、友達と議論しました。この記事は、Aさんとのおしゃべりがベースになってます。Aさん、いつも話につきあってくれてありがとう。

 

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本題に入りたいと思います。人は何のために生まれて、何をして生きるのでしょうか。僕は「幸せになるため」だと思います。これには異論がないと思います。問題は次です。

 

「幸せとは何か?」

 

これが、超厄介な問いです。理由は3つあります。

1.「幸せ」は定量化しにくい

2.「幸せ」は複合的な要因から成り立つ

3.「幸せ」は内的要因の変化により形を変える

1と2のせいで、仮説の設定と検証が困難になります。そして、3のせいで、絶対的な解は存在しない(!)のです。無理ゲーここにあり。一見、もはや考えることそのものが無駄に思えてきます。

それでも僕は、「幸せ」について考えることに意味はあると思います。なぜなら、考えて出した結論を持っていれば、間違いだとわかったときに、どこに問題があったのか特定できるからです。そして、仮に幸せの定義が変わってしまったとしても、何がどう変わったのかの特定も早くなるからです。


しかしながら、考えても僕には答えが全くわかりません。何が幸せなんでしょうか。わかりません。自由であること?承認されること?いろいろな人に記憶されること?奥さんとキャッキャウフフすること?どれもピンときません。確かに、しょぼいとはいえ、仮説はあります。一応それに基づいてキャリアを選んだつもりです。しかし、それが正しいとは全く思えません。しかも、どうやって仮説を検証するかさえわかりません。恐らく僕は、答えが出ないまま、答えの出し方もわからないまま、社会に飛び込むことになるのでしょう。

だからこそ、自分のキャリアに自信を持てないのです。ゆえに辛い。そんな感じです。

 

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以下、ちょっと脱線して、「人生について考えない生き方」について考えてみます。

 

ここまでの議論から、「みんな、人生について考えようぜ」と僕が主張しているように見えるかもしれませんが(見えないかも?)、実はそうでもありません。なぜなら、後悔する可能性があることを除けば、わりと人生について考えない生き方も悪くないからです。

人生について考えなければ、だいたい「普通の生き方」になります。この場合、「インスタントな幸せ」は手に入ります(この場合のインスタントとは、インスタントラーメンとかインスタントコーヒーとか、そんな感じのイメージです)。

例えば、まあまあの企業に就職して、普通に仕事していれば、そこそこのお金と、仲のよい家族に囲まれて、好きかどうかよくわからない仕事をしながらも、それなりの幸せが手に入ります(倒産後、再起不能になるリスクはありますが)。ベンチャー企業に行けば、「俺すっげー成果出してる!成長も感じられる!大企業で飼いならされているイヌめが!ばーか!」とかいう思いとともに、同じような人たちに囲まれてお互いに承認し合うことで、これもまたそれなりの幸せが手に入ります。

悪くない気がします。なぜなら、幸せを追求すると、人は破滅することもあるからです。人並みの幸せさえ、失ってしまう場合が多々あります。例えば、起業家。ここでは、普通に就職できたにも関わらず、その道を捨てて起業した人たちのみを考えます。彼らは自らの幸せを追求し、人並みの幸せを一旦捨て、リスクしかない世界に足を踏み入れます。結果、能力がない人は消えます。文字通り消える場合もあります。能力があっても、運がない人は消えます。また、無数の選択ミスと内的要因の変化を伴うであろう幸せの追求には、変革がつきものなので、「今」を捨てる気概が必要です。これは確実に辛いです。しかし、今を捨てられないと、もう終わりです。生きる屍として、中途半端な状況でうだつの上がらない一生を送る場合もあるでしょう。

 

なので、人生について考えない生き方も、わりとアリだと思うんです。ただ、世界から目を背けたり、違う選択を否定し続ける必要はありますが。それが嫌なので、僕は、これを選びませんでした。

 

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幸せとは、一体何なのでしょうか。いずれ見つかるものなのでしょうか。仮に見つかったとして、それは僕が選んだキャリアを肯定してくれるのでしょうか。何もかも不透明、謎に満ちています。いま僕にあるのは、「人生について考えている」という矜持だけです。それをもって、明日も僕は頑張ります。