ひまじんの日記

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ロールモデルの罠

社会には様々な「凄い人」がいます。誰であれ、一度くらいはそういう人に会ったことがあるはずです。もちろん僕もあります。彼らは、その凄さゆえに、しばしば尊敬の対象になり、場合によっては目標となります。 

そして、目標としての「凄い人」は、一般にロールモデルと呼ばれるようです。僕の周りでも、たくさんの人が各々のロールモデルを持っています。しかし、なぜそのロールモデルを採用したのか?その生き方が本当に最良の道なのか?という問いには、案外答えられない場合も多いようです。

以下は一例です。僕には、ある起業家に心酔している、非常に意識の高い友達がいます。彼はその起業家をロールモデルにしており、よく「**(その起業家の名前)のようになりたい!」と口にします。彼にそのロールモデルの凄さについて尋ねると、熱っぽく色々なことを語ってくれます。ある日、不意に気になって、質問をぶつけてみました。それは、なぜそのロールモデルなのか、なぜ他の生き方ではダメなのか、というものでした。すると、なんだか急に歯切れが悪くなってしまいました。僕はチキンなので、それ以上は怖くて追求できずに、適当に流してその話を終わらせてしまいました。以下は仮説にすぎませんが、恐らく、彼がそのロールモデルを採用しているのは、その起業家に対する純粋な憧れであり、それ以上の合理的な理由(他の選択肢を排する理由など)は特に無いのだろうと思われます。

もちろん、上記は一つの例にすぎません。しかし、似た事例は結構多いのではないかと考えています。実際のところ、社会の前線で活躍している人は、だいたい「凄い人」です。起業家も科学者も大学教授もプログラマーもエリート社畜も、みんな凄いんです。とりわけ、まだ社会を十分に知らない、僕らのようなちっぽけ大学生にとっては、(特にベンチャーで働いているような「イケイケな」)社会人が魅力的に映るのは、仕方のないことのように思えます。だから、つい深い考えも無しに「この人みたいになりたい!」と思ってしまう気持ちはよくわかります。

しかしながら、ロールモデルの設定をそんな簡単にしていいものなのでしょうか。ロールモデルの設定とは、途中で変更可能とはいえ、人生の方向性を決める意思決定であり、時には大学生活を、場合によっては残りの一生を左右する可能性もあります。確かに、「凄い人」を尊敬したくなるのは当然です。しかし、熟慮もなしに、彼らと同じような道を歩もうとするのは、デメリットが大きすぎると思えてなりません。

 

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そもそも、彼らはなぜ、ロールモデルを即断できてしまうのでしょうか。以下、仮説ですが、2つの理由を考えました。

1つ目が、「他の世界を知らない」からです。非常に狭いコミュニティの中で活動したり、限られた人とだけ話していることで、視野が極端に狭くなっているということが考えられます。その結果、自分の意思決定を疑わない、もしくは疑えるような状況にない、という事態が発生している可能性があります。

2つ目が、「論理ではなく感情で意思決定をしている」からです。長期的な意味での成功を得るためには、短期的な感情に左右されない、意思決定に関する盤石な論理が必要不可欠である、と少なくとも私は考えていますが、彼らにはそれが欠けていると思われます。多くの場合、先に挙げた例のように、単なる「憧れ」が先行していると見受けられます。

さらに、以上2つの理由により、強力な確証バイアスが働くものと予測されます。具体的には、その意思決定にとって、より都合のいい情報とだけ触れ合うようになり、自分の虚ろな信念が補強される、ということです。結果、ただの量産型(劣化型)**さんと化してしまうのではないでしょうか。そして、仮にその意思決定プロセスを問いただされても、それが単純な「憧れ」であると認めない、もしくはそれを認めたところで問題性を感じない、という状況に陥る。そういう関係性にあるのではないかと考えられます。

 

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では、このような状況を回避するためには、どうすればいいのでしょうか。僭越ながら、僕自身十分に実行できているわけでもないのですが、ひとまずの考えを以下にまとめました。今のところ、考えは2つあります。

1つ目が、色々な世界を知ることです。社会には、様々な考え方を持った無数の人がいます。本を読み、色々な人と出会い、多くのコミュニティを持つことで、多くの選択肢の中から自分の生き方を決めていけるはずです。そうなれば、ロールモデルを即断してしまうこともないでしょう。

2つ目が、上記を達成した上で、自分にとっての「幸せ」を定義することです。自分はどういう人間で、どういう生き方が最善なのか。無数の選択肢を検討した上で、揺らがぬ自己を確立できれば、不用意な意思決定をすることはなくなるでしょう。まあ、そう簡単に実行できるものでもないのですが(関連記事:何のために生まれて 何をして生きるのか )

 

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終わらない確証バイアスの中で、自分に都合のいい情報だけ集めて悦に浸る。そして、お互いに承認しあって傷を舐め合う。この生き方、全否定するつもりはありませんが、客観的に見て、あまり有益ではなさそうです。僕自身よくやりがちなので、これはある意味自虐的な記事と言えるかもしれません。(´・ω・`)

あと、真っ当な読み方をすれば誤解はしないと思いますが、ロールモデルの設定自体を否定しているわけではありません。明確な目標設定が高いモチベーションを生む、というのは、学術的にも正しいとされています。僕も含め皆さんが、正しいロールモデル設定で、ナイスなロールモデル生活を送ることを、心よりお祈り申し上げます。