ひまじんの日記

定期更新を目指す不定期更新です

「意識高い」系ゆるふわアイデンティティ

昨日、NLM(Next Leaders Meeting 2013)というイベントに参加してきました。いやー、すごい人もいるもんですね。同年代の人たちが、強い意志を持って、真剣に社会を変えようとしている。賞賛とちょっぴりの嫉妬がいい感じに混ざり合い、僕としても「こいつらに負けたくない」という気持ちが湧いてきます。球磨川くんみたいなノリです。自己啓発にはもってこいでした。

とはいえ、あまりの香ばしさに「えー」となるような人たちも相当数いました。話を聞いているだけで、こっちがどぎまぎしてしまうような、アレです。もはや、一周回って、彼らの精神構造が興味深いと思えてきたほどです。そこで、今日はその点、つまり括弧付き「意識高い」系の行動原理について考察してみようと思います。

 

**

 

個人的に、「意識高い」系の人というのは、新興宗教の信者に似ていると思っています。それは以下の3点からです。

・組織から強い自己承認エネルギーを得ている

・狭いコミュニティ内でお互いを承認しあっている

・結果、自分の価値観を絶対視しがちになる

1点目がわかりにくいので具体化します。例えば、組織のビジョン・ミッションの素晴らしさや、イベントの企画・実行による社会的価値、団体の連帯感などを、自身の価値に置き換え、「自分すごい!」と自己承認を行うことです。

そして、3点目により、自分とは違うコミュニティに属する人の話を聞き入れなかったり、場合によっては見下していたり、時には「私が彼らの意識を変えてあげる!」などと考えていることもあるようです*1。

以下は推論です。恐らく彼らは、確固たる意志もなく、(当然ながら)その意志を支えるストーリーやロジックも十分にないままに、意識高い系組織に所属してしまったのではないでしょうか。そして、意識高い系組織特有の非常に強力なエネルギーを浴び、それを何も考えずに受容してしまっているがゆえに、彼らのゆるふわアイデンティティはあっという間に組織色に染まり、それを原動力に大学生活を謳歌している*2。そんなところだと考えられます。

昨日NLMに参加していて気づいたのは、彼らは「その活動を始めた理由」という問いに対して答える際に、必ず「その組織や活動が素晴らしい理由」や「その活動をしていて感動したエピソード」について語ります。つまり、質問に対する答えをすり替えてくるわけです。これは、彼らには答えるべき「その活動を始めた理由」は特に無いからだと推測されます。

ちなみに。もちろん、そうでない人もたくさんいます。つまり、括弧付き「意識高い」系ではなく、純粋に意識が高い人です。彼らは確固たる意志を持って組織を創設もしくは所属し、自らの夢のために組織を「利用」しています。一枚皮を剥げば普通の人が出てくるような「意識高い」系の人とは違い、彼らは正真正銘、尊敬すべき「変な」人です。僕みたいな普通の人には到底獲得することのできない凄みを抱えて、夢を持って生きています。彼らには、彼らなりの形で、是非夢を叶えて欲しいと思っています。

 

1:僕は、意識を変える機会の提供を否定しているわけではありません。むしろ、多様な機会と触れ合い、視野を広げること自体は素晴らしいことだと思っています。しかし、「お前の考えは間違いだ!こっちに変えろ!」っていうのは、完全にただのお節介だと思っています。自分の考え方を決めていいのは、自分だけです。

2:余談ですが、自尊心供給に関する似たような現象は、体育会系にも多く見られる気がします。 この点に関しては一橋大学の偉大なOB、かねどーさんが自身のブログで(僕のよりはるかに優れたファクトとロジックに基づき)分析しているので、興味がある方は是非ご覧下さい。

参考記事:敗者復活装置としての体育会 - かねどーのブログ

 

**

 

で、ここにきてちゃぶ台をひっくり返すようで恐縮なのですが、僕は「意識高い」人を否定するつもりはありません。と言うのも、彼らにとっては、なんだかんだでそれは「幸せ」だろうと思われるからです。合理化を駆使しつつ、その理念を一生自己に投影し続けられるならば、きっと彼らの人生は本物と見分けがつかないくらいに「幸せ」なのでしょう。また、そこまで徹底しなくとも、人生の早い段階で色々と挑戦してみる、というのは悪くない選択のように思えます。ただし、僕に関して言えば、その危うさに途中で気がついてしまいそうなので、その選択を続けることはできませんでした。

まあ、人は、他人に迷惑をかけない程度に、生きたいように生きればいいじゃん、というオチで話を終わらせたいと思います。人生なんて、しょせんゆるふわなものだってことで。